大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和29年(特わ)20号 判決

本籍 愛媛県大洲市成能五四一番地

住居 東京都太田区上池上町一、一二四番地

富国海運株式会社取締役社長 (元山下汽船株式会社々長) (贈賄、商法違反)横田愛三郎

明治二六年四月一五日生

本籍 神奈川県横浜市神奈川区台町二四番地

住居 神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町二丁目四〇番地

富国海運株式会社常務取締役 (元山下汽船株式会社専務取締役) (贈賄、商法違反)吉田二郎

明治三二年二月五日生

本籍 茨城県新治郡志士倉村三、一〇〇番地

住居 東京都杉並区向井町二九三番地

山下汽船株式会社取締役業務部長 (贈賄)漆野寿一

明治三八年二月三日生

本籍 大阪府南河内郡狭山町二〇〇番地

住居 東京都文京区関口台町七〇番地

東京タンカー専務取締役 (元運輸省官房長) (収賄)壺井玄剛

明治四〇年一一月三日生

本籍 大阪府堺市浜寺公園三丁目二七七番地

住居 右同

株式会社名村造船所取締役社長 (贈賄)名村源

明治四三年一〇月四日生

本籍 岡山県岡山市小野田町五九番地

住居 東京都杉並区上荻窪一丁目一八〇番地

株式会社名村造船所取締役東京事務所長 (贈賄)武田勝一

明治三七年一〇月一八日生

本籍 大阪市天王寺区石ヶ辻町五〇番地

住居 大阪市住吉区安丘町一丁目一番地

中部観光自動車株式会社取締役 (元衆議院議員) (贈賄、収賄)有田二郎

明治三七年七月一日生

本籍 東京都渋谷区千駄谷八四三番地

住居 東京都品川区五反田六丁目一九一番地

日本交通公社顧問 (元日本交通公社会長) (贈賄)高田寛

明治三二年一月一五日生

本籍 兵庫県竜野市竜野町一〇〇〇の七番地

住居 東京都太田区池上徳持町五〇番地

日本船主協会企画部長 (元運輸省海運局監督課長) (収賄)土屋研一

大正四年七月三日生

本籍 東京都北区豊島一丁目一八番地

住居 東京都北区上中里一丁目一八番地

国家公務員(休職中) (元運輸省海運局監督係長) (収賄、同幇助)高梨由雄

大正六年七月一三日生

本籍 神奈川県藤沢市片瀬二、二〇一番地

住居 右同

東西汽船株式会社取締役社長 (贈賄)北村正則

明治三七年一二月一九日生

本籍 東京都渋谷区神山町三番地

住居 神奈川県鎌倉市乱橋材木座二七番地

大興海運株式会社代表取締役 (元運輸省海運調整部長) (収賄)国安誠一

明治四四年五月一四日生

本籍 愛媛県西条市永見町丙四五八番地

住居 東京都板橋区志村中台町三一九番地

富国海運株式会社常務取締役 (元山下汽船株式会社常任監査役) (商法違反)菅朝太郎

明治三三年三月一七日生

本籍 静岡県清水市桜丘町二三番地

住居 右同

塩山水産・富士起業・大日本起業・丸正魚卸売市場各取締役社長 (元日本海運株式会社々長) (商法違反)塩次鉄雄

明治四二年一月三〇日生

本籍 岡山県安磐郡山洋町神田七七〇番地

住居 東京都品川区上大崎四丁目二三〇番地

国家公務員(休職中) (元経済審議庁経済審議員) (商法違反教唆)今井田研二郎 明治四〇年八月三〇日生

主文

被告人横田愛三郎を懲役一〇月に、

被告人吉田二郎を懲役六月に、

被告人名村源を懲役六月に、

被告人武田勝一を懲役四月に、

被告人有田二郎を懲役二年に、

被告人壺井玄剛を懲役二年に、

被告人高田寛を懲役四月に、

被告人土屋研一を懲役六月に、

被告人高梨由雄を懲役三月に、

被告人北村正則を懲役六月に、

被告人国安誠一を懲役一年に、

それぞれ処する。

但し本裁判確定の日より、被告人横田愛三郎、同吉田二郎、同名村源、同北村正則に対しては各二年間、被告人武田勝一、同高田寛、同土屋研一、同高梨由雄に対しては各一年間、被告人有田二郎、同壺井玄剛、同国安誠一に対しては各三年間、いずれも右各刑の執行を猶予する。

被告人有田二郎から金二七万円、

被告人壺井玄剛から金一一〇万円、

被告人土屋研一から金一七万二、五〇〇円、

をそれぞれ追徴する。

被告人国安誠一から押収の中古ゴルフセツト一組(昭和三一年証第八三七号の六のゴルフセツトのうち、3番、5番、7番、8番の、ウオーターヘーゲン、アイアンクラブ四本、デニーシユートパツター一本及びウイルソンピツチングウエツジ一本、同号の七のゴルフセツトのうち、2番、4番、6番、9番のウオーターヘーゲン、アイアンクラブ四本及びウツドンクラブ四本、以上計一四本並びに右六のゴルフセツトのカバー紺色のもの一個)を没収し、金二〇万円を追徴する。

訴訟費用中、証人辻章男、林大造に支給した分は、被告人横田愛三郎、同吉田二郎、同名村源、同武田勝一、同有田二郎同壺井玄剛、同土屋研一、同高梨由雄、同北村正則、同国安誠一の、証人山内一夫、梶本保邦に支給した分は、被告人横田愛三郎、同吉田二郎、同名村源、同武田勝一、同有田二郎、同壺井玄剛の、証人山田正文に支給した分は、被告人名村源、同武田勝一、同有田二郎、同壺井玄剛の、証人泉井齢春に支給した分は、被告人有田二郎、同壺井玄剛の、証人畔上勝二、近藤順二に支給した分は、被告人高田寛、同有田二郎の、証人山根正に支給した分は、被告人名村源、同北村正則、同国安誠一の各連帯負担とし、

証人藤野美智子、小林芳雄に支給した分は、被告人壺井玄剛の、証人木船実、太田たま、有田達男、山本精三、橋本勝、小林保、大上司、矢田きみ子、伊藤正夫に支給した分は、被告人有田二郎の、証人黒丸正四郎、笹部三郎、佐瀬民雄、若林近生、内海胖に支給した分は、被告人名村源の、証人野口洋、福山慧一、加藤シズ、国安夏子に支給した分は、被告人国安誠一の各負担とする。

被告人横田愛三郎に対する本件公訴事実中、(一)昭和二九年二月一七日附起訴状記載第一の贈賄の事実、(二)昭和二九年三月一二日附及び(三)昭和二九年二月二日附各起訴状記載の商法違反の事実につき、被告人横田愛三郎は無罪。

被告人吉田二郎に対する本件公訴事実中、(一)昭和二九年三月一二日附及び(二)昭和二九年一月二七日附各起訴状記載の商法違反の事実につき、被告人吉田二郎は無罪。

被告人壺井玄剛に対する本件公訴事実中、昭和二九年二月一七日附起訴状記載第二の収賄の事実につき、被告人壼井玄剛は無罪。

被告人土屋研一、同高梨由雄に対する本件公訴事実中、被告人土屋研一は、昭和二九年四月九日附起訴状記載第一の(一)乃至(三)及び第二の各収賄の事実、被告人高梨由雄は、右同記載第一の(一)乃至(三)の各収賄の事実につき、それぞれ無罪。

被告人北村正則、同国安誠一に対する本件公訴事実中、被告人北村正則は、昭和二九年四月九日附起訴状及び昭和三二年一一月一三日附訴因変更請求書記載第一の(二)の贈賄の事実、被告人国安誠一は、右同記載第二の(二)の第三者供賄の事実につき、それぞれ無罪。

被告人漆野寿一、同菅朝太郎、同塩次鉄雄、同今井田研二郎は、いずれも無罪。

理由

(総論)第一、二、四、五の各グループに共通する職務権限の問題について

(一)  問題の所在

◎ この点については、第一、第二グループで収賄に問われた被告人壺井の運輸省官房長としての職務権限、第五グループの被告人国安の海運調整部長としての職務権限、第四グループの被告人土屋の海運局監督課長としての職務権限が問題とされ、本件の重要な争点となつている。弁護人の主張の要旨は次の如きものである。

(1)  計画造船における適格船主の決定についての運輸省の立場は、船主決定の権限を有する大蔵省、開銀の求めに応じ、応募船主について、航路事情、造船所事情、資産信用力に関する参考資料を送付していただけで、適格船主を決定する権限はなかつた。しかも開銀融資時代に入つてからは、運輸省においては資産信用力の調査はしなかつた。

(2)  官房長に付与されている綜合調整の権限は、専ら基本政策の樹立に関するもので、計画造船における適格船主のせんこうのような具体的実施行為に迄及ぶものではない。被告人壼井は、船主せんこうのための会議や、打合せに出席して発言した事実はなく、ただ庶務的立場から関係会議に出入りしたに過ぎない。

(3)  海運調整部長に付与された綜合調整の権限は、海運局から提出される基本政策に関する資料の形式的整理その他海事四局間の事務連絡程度に過ぎない。被告人国安が船主せんこうのための会議又は打合せに出席していたのは、専ら庶務、人事、広報の立場からに過ぎない。

(4)  監督課長は、船主せんこうの事務の取纒めをしていたが、応募船主の資産信用力の審査を担当したのは、見返資金時代のみで、開銀融資時代に入つてからは、専ら開銀において船主の資産信用力を審査することになつていたので、これらは監督課長の関与するところではなかつた。

(二)  当裁判所の判断

◎ しかし当裁判所は総論関係の各証拠や五次船以降の計画造船の経過や、運輸省設置法以下の関係法令等を検討してみて、これらの点につき次のとおり判断した。

(1)  運輸省は見返資金、開銀融資の両時代を通じ、計画造船に関する省内銓衡の際、航路事情、造船事情の外、応募船主の資産信用力をも審査し、内部的に適格船主を決定して、これを大蔵省又は開銀に示し、大蔵省及び開銀は、いずれも運輸省の意見に拘束されることなく、通知された各船主について金融的判断をなし得たが、大蔵省は運輸省の通知した融資限度内の船主中から選ばねばならぬ制限を受けていた。これに反し開銀にはかかる制限はなく、大蔵省の立場に比し、その金融的判断において自主的ではあつたが、計画造船に関する国策綜合化の要請から、運輸省は、開銀と共に、適格船主の内部案を持ち寄り、両者協議して銓衡意見の調整を計り、両者の意見が一致した際に、運輸大臣と開銀総裁とが会見して適格船主を実質的に内定し、次でこの内定されたところに従い、各自の権限に基き、開銀は融資を決定し、運輸省は建造許可を与えるものである。従つて運輸省内の船主せんこうは、両時代とも船主決定に大きな拘束力を持つていたわけであるから、運輸省が船主決定に関し、権限を有していたことは明瞭である。

(2)  被告人壺井は、九次前期及び後期の計画造船当時官房長の職にあつたが、官房は、その性格上、省務の全体に亘る内部管理的な事務及び総合調整に関する事務を所掌するものであること、官房長の役割、綜合調整の本来的な性格と作用、被告人壺井の計画造船の実際に関与した状況等にかんがみ、被告人壺井は九次船当時、運輸省官房長として、大臣、次官を補佐する立場から、省務全般に亘る綜合調整権に基き、主管の海運、船舶両局長に種々意見を述べ、大臣列席の船主せんこうの最終会議に出席して意見を述べる等の方法により、船主せんこうに関し、職務上関与したものであつて、応募船主は勿論、提携造船所に対する関係においても、職務上微妙な関係を有する立場におかれていたのである。

(3)  被告人国安は、第七次後期乃至九次後期の計画造船当時、海運調整部長の職にあつたが、調整部の性格、綜合調整の本来的な性格と作用、被告人国安の計画造船の実際に関与した状況等に照し、海運局長を補佐する立場から、海事四局に亘る事務の綜合調整権に基き、海運、船舶両局合同の会議又は協議、若しくは大臣及び次官の面前における会議等に出席して意見を述べる等の方法により、船主せんこうに関与していたもので、応募船主に対する関係において、職務上微妙な関係を有する立場におかれていたのである。

(4)  被告人土屋は第九次の計画造船当時海運局監督課長の職にあつたが、監督課の職務権限、計画造船の実際には被告人が関与した状況等にかんがみ、被告人土屋は、計画造船に関する主管課長として、海運局長を補佐する立場から、応募船主の資産信用力の調査を担当し、航路事情造船所事情等の省内における資料の取りまとめ事務に従事していた。従つてこれら所掌事務を通じ、被告人土屋は応募船主は勿論、提携造船所に対する関係においても職務上微妙な関係を有する立場におかれていたのである。

以上の次第であるから、職務権限に関する弁護人等の主張は凡て排斥することとした。

(各論)

第一、(第一グループ)

被告人横田、吉田、漆野、壺井の贈収賄関係について

(有罪関係)

(一)  被告人横田は、山下汽船の社長として、九次前期の計画造船において、新造船の建造をなさんとした際、予ねて、当時運輸省官房長であつた被告人壺井に対し、新造船の割当に関し便宜な取扱いを得たい旨を請託し、専務の被告人吉田と共謀の上、適格船主となつた直後の昭和二八年三月三〇日頃、赤坂の料亭中川において、被告人壺井に対し、右の請託に基いて職務上便宜な取扱を受けた謝札並びに今後も同様な取扱いを得たい趣旨で、現金三〇万円を供与し、

(二)  被告人横田は前同様九次後期の計画造船に際し、被告人壺井に対し請託をなした上、被告人吉田と共謀の上、適格船主決定後の昭和二八年一一月六日頃右料亭中川において、被告人壺井に前同様の趣旨で現金三〇万円を供与し以て被告人壺井の職務に関し賄賂を供与したものであり、

(三)  被告人壺井は右の如き被告人横田の請託を受け、被告人横田、吉田等の趣旨を察知しながら、右の金員を二回に亘り受取り、以つて官房長としての自己の職務に関し賄賂を収受したものである。

(四)  以上の事実は、横田日記、Yamashita Lineとあるメモ、

被告人横田、吉田、壺井等の公判の供述並びに検察官調書その他の関係証拠により証明十分であるから有罪と認める。

(五)  弁護人の主張について

(1)  弁護人の主張の中重なものについて判断を示すこととする。先ず弁護人は、昭和二八年三月に授受された三〇万円は、被告人壺井が渡米中山下汽船のために、依頼された調査をしたことに対する謝札の意味の金であり、又同年一一月に授受された三〇万円は、運輸省のゴルフ大会に山下汽船から寄附された金でいずれも計画造船の割当とは何等の関係もないと主張し、この点は、本件の重要な争点として争われたのである。

(2)  関係証拠により被告人壺井が渡米中或程度山下汽船のため調査したこと、省内のゴルフ大会が行われたこと、その前に寄附の話の出たことは認められるが、各被告人の公判における供述の状況、佐藤検察官の証言、金員授受の時期、状況、その他前記有罪事実の認定に供した証拠等に徴し、これらの金員の授受が弁護人主張の如く、全く被告人壺井の職務に関係なく、渡米中の調査の謝札とかゴルフ大会の寄附であつたと認めることは到底できないのであつて、当裁判所の認定する事実が真実であると思料する。

(六)  被告人壺井、横田、吉田等に対する検察官調書の任意性及び信用性について

この点に関し、係検察官の取調に、強制や誘導があつたと主張する各被告人の供述は、勾留中であつた苦境と苦悩等を考慮して考えてみると或程度了解できるものもあるのであるが、検察官調書の記載内容や状況等からみて取調官の強制や誘導により任意性も信用性もないものと認めることはできない。

なお本件公訴事実中

(無罪関係)

(七)  昭和二九年二月一七日附起訴にかかる、被告人横田が第五次より第七次前期迄の計画造船に際し、応募船主たる山下汽船のために、船主せんこうに関し、当時海運調整部長であつた被告人壺井に尽力方を請託し、適格船主となつた後、その謝札並びに今後も同様の尽力を得たい趣旨で、被告人壺井の渡米を機会に、当時山下汽船の営業部副長であつた被告人漆野と共謀の上、昭和二六年三月下旬頃運輸省内において、被告人壺井に対し現金二〇万円を供与し、被告人壺井は右の請託を受けその趣旨を知りながらこれを貰い受け以て被告人壺井の職務に関し請託を受けて賄賂を収受したとの点については、

関係証拠を仔細に検討した結果、右の二〇万円は、被告人壺井と親しかつた被告人漆野が、山下汽船として当時米国の海運事情につき、情報を知り、営業関係や代理店開設の参考資料としたい希望があつたことから、被告人横田社長の承諾を得てその調査を、近く渡米する被告人壺井に依頼し、その費用を主体とし、餞別の意をも含めて授受されたもので、当時海運調整部長であつた被告人壺井の職務に関し、起訴状記載の如き趣旨で、授受されたものと認めることができない。尤も被告人横田等の胸中に運輸省内において前途を嘱目されていた被告人壺井に、この機会を捉えて親しくなり、将来何かと力になつて貰いたい気持が去来したことは或程度うかがえないではないが、さりとてかかる心持があつたということから、直に被告人壺井の具体的な計画造船についての職務に関し賄賂の授受があつたと認定することは、客観的な状況上到底できない。よつてこの点については被告人横田、漆野及び壺井に対し無罪の言渡をすることとした。

第二、(第二グループ)

被告人、名村、武田、有田、壺井の贈収賄関係について

(一)  被告人名村、武田、有田は共謀の上、第九次後期の計画造船の割当に際し、予て東西汽船の新造船を名村造船において建造せんとし、その実現につき、被告人有田において、当時運輸省官房長であつた被告人壺井に対し、尽力方を依頼請託していたがその後新造船一隻を建造することとなつたことについて、官房長としての職務上好意ある取扱いを受けたことに対する謝札及び将来行われる計画造船についても同様の取扱いを受けたい趣旨で、昭和二八年一一月一〇日の午後二時頃丸の内ホテルにおいて、現金五〇万円を、被告人有田から被告人壺井に交付し以つて被告人壺井の職務に関して賄賂を供与し、

(二)  被告人名村、武田、有田は共謀の上、前同様九次後期の新造船を名村造船において建造せんとし、その実現につき被告人有田において、当時開銀理事であつた松田太郎に対し、尽力方を依頼請託していたが、その後新造船一隻を建造することとなつたことについて、前同様名村造船の謝札並びに将来も好意ある取扱を受けたい趣旨で、同年一一月中旬の午前八時頃、中野区沼袋町の松田太郎方自宅を訪問し、同人に対し現金五〇万円を差出し受領方を求めたが拒絶されたので、断念したが、これにより開銀理事であつた松田の職務に関し、賄賂の申込をし

(三)  被告人壺井は、被告人有田を通じ、前記の如く、名村造船所から九次後期の新造船の実現につき請託を受けていたが、新造船決定後右のとおり名村造船関係の謝札等の趣旨で供与されるものであることを察知しながら、被告人有田から現金五〇万円を貰い受け以つて自己の官房長としての職務に関し、賄賂を収受したものである。

以上の事実は、

証人松田太郎、小林太郎、高林康一等の公判供述、同松田、高林等の検察官調書その他の書証物証の外被告人武田、名村、有田、壺井の公判供述、同検察官調書等によつて、証明十分と認めて有罪の言渡をするわけである。

次に弁護人の主張中主なものについて判断を示す。

(四)  被告人名村の検察官調書の任意性と信用性について

証人黒丸正四郎の尋問調書、大阪医大病院の病床日誌、拘置所の治療簿、病状の回答書、拘置所医師の証言、被告人名村の検察官調書、同公判の供述、山根、竹内両検察官等の公判供述等を仔細に検討してみると、結局勾留中の被告人名村は欝病患者であつたには違いないとしても、本件起訴事実程度のことについては普通に理解し、利害関係を考慮して判断し意見を決定し供述する能力を具備していたもので、計数的なこと等については、記憶違いや、忘失による間違いはあるにしても、大綱的には、その供述内容は任意性も信用性もあるとみるのが相当であると考える。

(五)  被告人壺井の検察官調書の証拠能力について

この点については弁護権の制限、黙秘権の告知の有無、強制の有無等が問題とされたのであるが、結局において、被告人壺井の逮捕勾留関係の書類、佐藤検察官の公判供述、被告人壺井の検察官調書等を綜合して仔細に検討してみると、問題の調書は、二月六日附、同月一三日附の各佐藤調書及び二月二八日附河井調書の三通であるが、そのいずれをみても、任意性と信用性に欠けるところはないと考える。

(六)  被告人有田の主張について

被告人有田は、被告人壺井に五〇万円を丸の内ホテルで渡したこと、及び松田開銀理事に五〇万円を自宅で渡そうとして差し出したことは認めるが、松田理事に渡そうとしたのは、昭和二八年一〇月三〇日午前八時頃のことで、被告人壺井に丸の内ホテルで渡したのは、同年一一月二日正午過のことである。しかも松田理事への五〇万円は名村造船とは関係なく、一〇月二九日日平産業の宮島慎治から受取つたもので、これを松田に渡そうとして拒絶されたため、そのまま壺井に渡したものである。被告人壺井に渡した趣旨も、壺井が衆議院議員として立候補する選挙準備資金として贈与する趣旨であるし、松田理事への金員供与の趣旨も造船割当と関係なく、松田理事には予てから日平産業の融資につき尽力を懇請していたことでもあり、比較的不遇だつた同理事に同情する立場から持参したに過ぎない。と強く主張し、この点は本件の重要な争点の一つとなつたのであるが、関係証拠に照し、かかる主張は採用し難く、当裁判所が認定した事実が真実であると思料する。

第三、(第三グループ)

被告人高田、有田の増収賄関係について

(一)  被告人高田は、昭和二八年六月から一一月に亘る第一六回並びに第一七回国会の衆議院決算委員会において、鉄道会館の建設問題、交通公社の乗車券代売代金の延納問題、その他国鉄の有力外廓団体に関する各種の問題が取り上げられ、田中彰治委員長を中心に、熾烈な論議が展開され、国鉄当局の監督問題に波及し、世論も漸く動くようになつた際当時、自己が会長をしていた交通公社の理事の入沢文明と共謀の上

(1)  昭和二八年八月一九日、千代田区永田町の星ヶ岡茶寮において、当時決算委員であつた被告人有田に対し、国鉄や、鉄道会館、交通公社等のため、委員会において、有利に質疑し意見を述べ表決を受けたい趣旨で、入沢を通じ現金二万円を供与し、

(2)  同年九月三日国鉄東海道線横浜、東京間の特急「はと」の車中で前同様の趣旨で、入沢から被告人有田に現金五万円を供与し

(3)  更に同年一二月二一日頃丸の内一丁目の交通公社において、被告人有田が決算委員として、国鉄関係に好意ある働きをしてくれたことに対する謝礼及び将来も同様の配慮を得たい趣旨で、入沢を通じ、被告人有田に現金二〇万円を供与し

以つて被告人有田の決算委員としての職務に関し賄賂を供与し、被告人有田はその趣旨を了承しながら、これを貰い受けて収賄したものである。

(二)  以上の事実は、証人入沢文明、菊地隆泰、天坊裕彦、広瀬真一、滝富士太郎、三原種雄、近藤順二、丸山武治等の公判の供述及び検察官調書、被告人高田の公判の供述及び検察官調書、高田日記、決算委員会会議録、その他の根拠に徴し、証明十分であるので有罪と認める。

次に弁護人の主な主張について判断を示す。

(三)  決算委員会における交通公社の問題は、本件金員が授受されたとされる以前の七月三十一日に論議は終了していたとの主張について

委員会議事録や証人天野公義、藤田義光等の証言等により明かな如く、七月三十一日を以つて交通公社の代売代金延納の問題は一応論議の山を越えたことは事実であるが、まだ完全に終結せずその後一一月二日迄の間に、鉄道会館問題と関連して国鉄の関係団体に対する指導監督の問題が何回かに亘つて論議され、交通公社だけが攻撃の埓外にあつたということはできなかつたし、一一月二日の委員会において、交通公社問題を含めて国鉄関係団体の総括的しめくくりの決議がなされているので弁論人の主張は採用できない。

(四)  被告人高田、入沢文明、三原種雄、近藤順二、丸山武治等に対する検察官調書の任意性と信用性について

この点について被告人高田等の公判供述に徴し、勾留により精神的シヨツク、苦痛、疲労を受けたことは或程度推測できないことはないが、検察官の取調の際任意に供述し得ない程深刻なものであつたとも思われない。特に同被告人等の検察官調書を仔細に検討してみると、二、三客観的事実に符合しないものもあるが、概ね客観的事実に合致し、供述内容も自然の経過を辿つており、任意性や信用性において疑を抱くような無理な取調があつたものと認められないので、弁護人の主張は採用しない。

(五)  被告人有田の決算委員としての職務権限について

なお被告人有田の決算委員としての職務権限につき、鉄道会館問題は起訴状に訴因として示されている決算委員会の付託事項とは関係のない別個の国政調査権に由来する問題で、決算委員の職務権限外のことであるとか、或は被告人有田は昭和二八年九月三日の五万円授受の当時決算委員長不信任の動議を提出する職務権限はなかつたというような主張がなされているが、

当裁判所は、鉄道会館問題も、起訴状の記載上当然に決算委員会の議題として適法に取上げられたものとして訴因に含まれていると解するし、また、委員長不信任動議提出の問題も、被告人高田等としては、これのみを有田に期待したのでなく、要は委員会の論難を緩和する方向に向わしめるよう被告人有田の活動を期待するのが本旨であつたと認められ、かりに不信任動議の提出に依頼の主眼があつたとしても、決算委員として、かかる動議を提出し得ないとする根拠を肯定することができないので、この点に関する弁護人の主張も採用しない。

第四、(第四グループ)

被告人名村、土屋、高梨の贈収賄関係について

(有罪関係)

(一)  被告人名村は、九次後期の計画造船において、名村造船と組んで申請した東西汽船が首尾よく、適格船主となり、新造船建造工事を獲得できたことに対する謝札及び将来も好意ある取扱いを受けたい趣旨で、昭和二八年一二月八日頃、名村汽船社員和気忠雄及び被告人高梨を介し、運輸省海運局監督課内において、計画造船に関する主管課長である被告人土屋に対し、ピアノ購入代金の不足分として、現金一七万二、五〇〇円を無利子、無期限で貸与し、以つて被告人土屋の職務に関して賄賂を供与し、

(二)  被告人土屋は、名村造船の社長たる被告人名村の右の金員貸与の趣旨を察知しながら、その貸与を受け以つて、自己の職務に関して賄賂を収受し、

(三)  被告人高梨は、和気忠雄と友人であり、被告人土屋の所属係長である関係から、右の金員の授受に関係し、被告人土屋の収賄行為を幇助したものである。

以上の事実は、関係証拠によつて証明十分なので、有罪と認める。しかし本件公訴事実の中、

(無罪関係)

(四)  昭和二九年四月九日附起訴に係る

(1)  被告人土屋、高梨が共謀の上、昭和二八年三月下旬監督課において、日本海汽船社員野村義人から計画造船の割当に際し資産信用力の審査につき便宜な取扱を得たい趣旨と、船舶による引揚輸送事務につき便宜な取扱を得た謝札の趣旨で、現金五〇、〇〇〇円を受取つたとの点

(2)  同年一〇月下旬頃被告人土屋、高梨が共謀の上、監督課において、日本郵船社員山田俊彦から、前同様資産信用力の審査につき便宜な取扱を得たい趣旨で現金三〇、〇〇〇円を受取つたとの点

(3)  同年一二月下旬頃両名共謀の上前同様日東商船社員土岐広から現金六〇、〇〇〇円を受取つたとの点

以上三つの起訴事実は、関係証拠を仔細に検討した結果、いずれも当時極めて多忙であつた監督課員等係員に対する一般的な慰労若しくは、当時著しく窮屈であつた事務経費の不足分を補う費用に充てる趣旨で、寄附されたもので、被告人土屋、高梨等の職務に関し、同人等に収得させる趣旨のものではなかつたことが明かなので、この点については無罪と認める。

(五)  次に被告人土屋が、同年一〇月上旬頃飯野海運社員小山朝光に宴会費用の立替払を依頼し、同年一一月下旬頃、有楽町割烹九重における自己の飲食費用八、九八〇円を、右小山が前同様資産信用力につき便宜な取扱を得たい趣旨でするものであることを知りながら、同人に支払わせたとの点については、飯野海運の小山社員は、被告人土屋が清水商船大学の教授をしていた当時の教え子で、その後輩社員の大河原淳夫も同じく土屋の教え子で、いずれも土屋と接触があつた。ところが偶々土屋が教授時代にバレー部の部長をしたことがあり、その部員で、同じく飯野海運の外国航路船に乗つていた花田昭二が上陸したのを機会に、加藤昭三、佐伯喬二等同じバレー部員と一緒に、大河原を交え教官と教え子との懇親会を開くこととなり、九重で会食したのであるが、その費用を小山が先輩格の立場で支払つたもので、被告人土屋の職務とは何等の関係がないことが証拠上明かなのでこの点についても無罪と認める。

第五、(第五グループ)

被告人北村、国安の贈収賄関係について

(有罪関係)

(一)  被告人北村は、東西汽船の社長として七次後期の計画造船において、南米定期航路の貨物船一隻を建造せんとした際、予ねて、海運調整部長たる被告人国安に対し、東西汽船が適格船主となるよう尽力されたい旨を請託し、その後同年九月下旬又は一〇月初旬頃、中央区蛎殻町大辻豊恵方で、被告人北村は、国安に対し右の趣旨で中古ゴルフセツト一組を贈与し、以て被告人国安の職務に関し、請託をなして賄賂を供与し、

(二)  被告人国安は右の如き被告人北村の依頼を受け、その趣旨を察知しながらこれを貰い受け、以つて自己の職務に関し、請託を受けて賄賂を収受したものである。

(三)  次に被告人北村は、九次後期の計画造船に応募し、新造船一隻を建造せんとした際、被告人国安に前同様尽力方を請託し、その後昭和二八年九月一五日一隻の獲得に成功したが、同年一二月二〇日過頃、被告人国安の尽力に対する謝札並びに将来も同様尽力されたい趣旨で、京橋一丁目大阪商船ビル附近の道路で、被告人国安に対し現金二〇万円を贈与し、以て海運調整部長たる被告人国安の職務に関し請託をなして賄賂を供与し、

(四)  被告人国安は右の如き被告人北村の依頼を受け、その趣旨を察知しながらこれを受け以て自己の職務に関し請託を受けて賄賂を収受したものである。

以上の事実は、証人小室明、松田久一等の公判供述と検察官調書、被告人等の公判供述と検察官調書、物証その他の関係証拠により証明十分と認めて有罪と認定した。

(五)  被告人等の主張について

尤も被告人等は、右二〇万円の授受は、被告人国安の兄茂夫の病気見舞金として兄茂夫に渡されたもので、国安の職務に関係はない。また、被告人北村、国安の各検察官調書は取調に当つた山根検察官の強制若しくは誘導によるもので、任意性も信用性もなく、証拠となし得ないものであると主張するのであるが、関係証拠に照し、右二〇万円は国安の兄茂夫の病気見舞金として授受されたものと認めることはできないし、また、被告人等の検察官調書については、山根検察官の証言、調書の内容等に徴し、任意性も信用性も具備していると思料した。

しかし本件公訴事実中

(無罪関係)

(六)  被告人北村は、第八次計画造船において新造船を建造せんとした際、被告人国安に対し、尽力方を請託し、その配慮に対する謝礼並びに将来も同様尽力されたい趣旨で、当時職がなく、石炭販売業を始めるについて資金の援助を求めていた、被告人国安の兄茂夫のため、国安の懇請をいれて、資本金二五〇万円の三友商事なる石炭販売会社を設立して茂夫を月額報酬二万円の代表取締役に就任せしめて、同人にその職及び地位等の利益を供与し以て被告人国安の海運調整部長としての職務に関し、請託をなして第三者に賄賂を供与し、被告人国安は右の請託を受け、その趣旨で自己の職務に関し兄茂夫に右の如き利益を供与せしめた、との起訴事実については、

証人小室明、松田正喜、荒崎武雄、富田正次等の公判の供述又は検察官調書、被告人両名の公判の供述又は検察官調書その他の物証等に徴し、

(1)  被告人国安が北村に兄茂夫の資金援助を依頼したのは、職務とは関係がなかつたこと

(2)  三友商事の設立は主として東西汽船の事業拡張の一環として考慮されたもので、被告人北村の支配下におかれたこと

(3)  被告人国安の兄茂夫を代表取締役に就任させ営業を担当せしめたのは、同人の既往の経験とのれんを利用せんとしたものであること

等の事実を認めることができるのであつて、これらの事実から考えて、本件の利益供与が、計画造船にからむ請託と関連のあるものとして、犯罪性を帯びるものと認定することはできない。従つてこの点は無罪とすることとした。

第六、(第六グループ)

被告人横田、吉田の造船リベート金の費消を廻る商法特別背任の関係について

(一)  昭和二九年三月一二日附起訴にかかる被告人両名に対する商法違反の公訴事実の要旨は、被告人横田は山下汽船の常務、専務若しくは社長として、被告人吉田は取締役、常務若しくは専務として在職中、社長森熊三と共謀の上或は両名のみ共謀の上、計画造船に際し、自己等役職員等の機密費及び分配金を不正に入手せんとして、会社に対する自己の任務に背き、造船所との間に、いわゆるリベートを含む水増し船価を以つて、建造請負契約を締結し、リベート金を受取つたものであるが、その内容は

(1)  昭和二四年一二月第五次船山下丸の建造契約につき、昭和二五年一月から昭和二七年一二月迄の間に浦賀ドツクから七回に合計一、三〇〇万円

(2)  昭和二五年三月の第五次船山彦丸の建造契約につき、同年三月及び昭和二六年三月の二回に、日立造船から合計一、三〇〇万円

(3)  昭和二五年一二月の第六次船山照丸の建造契約につき、昭和二六年一月及び一一月の二回に、日立造船から合計一、九〇〇万円

(4)  昭和二六年五月の第七次前期船山福丸の建造契約につき、同年六月及び昭和二七年三月の二回に、日立造船から八〇〇万円

(5)  昭和二六年一一月の第七次後期船山月丸の建造契約につき、同年一二月及び昭和二七年一二月の二回に、日立造船から合計一千万円

(6)  昭和二七年七月の第八次船山里丸の建造契約につき、同年九月及び昭和二八年四月の二回に、日立造船から、合計一千万円

(7)  昭和二八年三月の第九次船山春丸の建造契約につき、同年四月中二回に、合計一、五〇〇万円

(8)  昭和二八年九月の第九次後期船山国丸の建造契約につき、同年一〇月中二回に

合計一、五〇〇万円

総計一億三〇〇万円(約束は一億一、三〇〇万円)をいずれもリベート金として受取つたものであり、その一部を前記役職員等の機密費及び分配金に充てて費消し、相当額の損害を山下汽船に与えたものであるというのである。

(二)  争点

関係証拠により前記各次船の建造請負契約につき、被告人等が造船所側から、リベート金をそれぞれ現金で受取つたことは明瞭であるが、この事実を前提とし、本件の争点を明かにすると次のとおりである。

(1)  検察官の主張は、被告人等は自己等全役員に対する裏報酬及び裏賞与に充てることを主要な目的として、建造契約を造船所と締結する際に、運輸省に対し申請する公表船価と、その外に、山下汽船と造船所限りの秘密の実際船価の二つをとり決め、両者の差額を、いわゆるリベートとして戻す約束をしておいて、その後適格船主となつて新船が建造されることとなると、約束どおりに、右の差額に相当するリベート金を造船所側から受取り、これを所期の目的どおりに、被告人等において分配取得したのであるから、本来実際船価だけ支払へばよいのに、わざわざリベート金を含む水増しの公表船価をとり決めた点に任務違背があり、その結果山下汽船に、リベート金だけ余分の支払義務を負担させた点に、相当額の損害を加えたことになるというのである。

(2)  これに対し被告人側の主張は、

(イ)  五次船二隻と六次船については、当時の森社長や及川専務のやつたことで、被告人等の関知しないところである。

(ロ)  その後の各次船とも、総てリベート金は、山下汽船が適格船主として決定された後に、造船所に申入れて、契約船価の値引を承諾させて受取つたもので、任務違背の点はない。

(ハ)  リベート金は、会社間の約定により山下汽船の金として受入れ、山下汽船のために機密の用途に貰つたのであるから、山下汽船に損害を与えたことにならない。

(ニ)  目的や動機においても、山下汽船が当時右のような機密費を必要としたからこそ即ち専ら会社のためにしたに過ぎない。

従つて特別背任罪を構成するいわれがないというのである。

(三)  当裁判所の判断

以上の争点を中心として、証拠を検討してみると

(1)  五次船及び六次船当時につき、証人森熊三、及川松之助、その他造船所側証人の証言、黒表紙日記帳等に徴し、被告人両名は、森社長と共同で建造契約やリベート金受領等に干与したものとみるのが相当である。

(2)  問題は各次船についてリベートをとり決めた時期とその決め方であるが、

先ず時期につき、当裁判所としては、造船契約書、覚書、仮契約書在中と記載した大型封筒、菅メモ、被告人等に対する検察官調書等を綜合し、各次船とも船価を定めて運輸省等に申請書を提出する以前に、リベートの約定が成立していたものと認める。

(3)  次に、このようなリベートがなければ、山下汽船としてそれだけ、より低い船価で契約することができたかどうかについて検討してみると、造船所側の証人の証言、井上信雄のノート、見積計算書等に徴し、船主と造船所との間の船価決定迄の順序経過、各次船当時の海運造船業界の、それぞれ特有の情況、各次船につき船価をとり決めた際の個々別々の情況等からみて、

(イ)  造船所側は、いずれも各次船につき見積総原価に、その時々の状勢を勘案して利益を算入してある船価で受注していることが認められるが、リベートのあることを予想して見積総原価自体を水増ししたことを認めるに足る証拠がない(特に第五次、第六次船については、造船業界の不況から出血受注をしたとさえ思われるのである。)

(ロ)  また造船所側としても、情勢に応じて利益をとることは容認されなければならず、且つその利益の多からんことを望むのは当然であるから、更に特段の事情が証明されない限り、リベートの約定をしなければ、直ぐそれだけ、実際船価よりも安い船価で、建造契約ができたはずであると速断することはできない。

以上のとおりであるから被告人両名の各次船の船価のとり決め方には、特に任務に違背したことを疑うに足りる要素を発見することができない。

(4)  次に被告人両名の本件リベート金受領の目的、動機について検討する。

(イ)  先ず事案の背景についてみると、山下汽船関係者の証言、重役会議事録その他の証拠に徴し、山下汽船は、先代山下亀三郎の粒々辛苦の末その大をなしたものであるが、今次戦争により壊滅的な打撃を受け、戦後制限会社、特別経理会社、持株会社等として経済活動に過酷な制約を受け、更には、追放役職員の救済、外地勤務者の復帰等、内外共に難問題山積し、これを克服して昔日の山下汽船に立ち直ることは容易ならぬ難事業であり、社内上下一致してこの難関を乗り切り、山下汽船の伝統を生かしつつ大海運会社として隆昌したい念願に燃えて、各方面に必死の活動をしたことが認められ、かかる特殊の事情が本件の背景となつていることが看取される。

(ロ)  次に本件リベート金を約定受領した目的、動機について検討してみるに、千代田口ノート、メモ綴、証人森熊三、及川松之助、菅朝太郎、被告人吉田等の公判供述等を綜合してみると、終戦後本件リベート金と同様の別途の金を相手方より受入れ、三菱銀行地下の貸金庫に保管して出し入れするようになつたのは、森社長就任後間もなく、昭和二二年三月頃からのことであり、それは、森社長が、山下汽船に永年勤続しながら、追放で辞め、退職手当も支給されなかつた旧役員に対する救済資金に充て、また社長以下の役員としても当時の特殊事情から、報酬には制限があり、会社の為に機密の用途に使用できる金がなかつたので、これを入手したというのが主な動機で、当時第五山水丸を売却して得た代金の一部を別途金の扱いとした三五〇万円が結果的にもそのとおりに使用されており、とにかく沿革的にも山下汽船の為にする意図で以つて始められたことが認められる。

(ハ)  また当初受入れた右の三五〇万円は二四年上半期に既に尽きたが、森社長は他の役員一同に諮り、その賛成を得て、山下汽船の創始者である山下家の後継者を含めて元役員の救済と、生活援助をする必要性および、社長以下の役員の機密費を必要とする事情が存続し、更に海外勤務職員の引揚者家族の生活援助等の支出にも充てる財源をここに求め、汽船の沿革と社風に照し、また会社を有機的一体として活動せしめる立場から、リベート金を得て山下汽船の為に有益に使用する意図であつたことが認められるのである。

(ニ)  更に重役会議事録や被告人横田の公判供述等を綜合してみると、被告人横田の主宰する時代となつてからも、この森前社長時代のやり方をそのまま踏襲し、他の役員もこれを当然のこととして、従来通り、山下汽船の沿革、社風のその他の特殊事情に応じて、リベート金の使用がなされた事実を認めることができるのであるから、被告人両名が本件リベートを約定受領した動機、目的は専ら会社の利益を図るにあつたものと認めざるを得ない。

(5)  次に被告人等の行為により山下汽船に損害を与えたか否かについて検討する。この点については、証人佐海二郎、菅朝太郎、和田信純等の証言、被告人横田、吉田の公判供述、千代田口ノート等を綜合してみると次の諸点を認定することができる。

(イ)  本件リベート金は、結局において、被告人吉田が全部これを受取り、現金のままで、先代山下亀三郎の秘書役だつた木村長吾名義の、三菱銀行本店地下室の貸金庫の中に納められ、被告人吉田が鍵を持つて、出し入れし、会社の正規帳簿にも載らず、決算の対象にもされない、いわゆる裏経理、裏勘定の扱いであつたこと、

(ロ)  しかしこの貸金庫は会社のものとして、随時会社所有の株券等をも出納していたこと、

(ハ)  本件リベート金の出納については、被告人吉田自身が終始これに当り、その収支は、終始刻明に、細大もらさず、何時でも報告できる程度に明瞭に帳簿に記載してあつて、会社の帳簿の一つとしてみても、少しも怪しまれない内容を備えていることが認められるのである。

(6)  使途についてみると、千代田口ノート被告人両名の公判供述等に徴し概ね次のとおりとなる。

即ち

(イ)支出総額      九、九〇九万二二三四円

(ロ)役員機密費     三、四六六万一九五七円

(ハ)退職役員縁故者関係 一、〇〇五万〇〇〇〇円

(ニ)社員関係        二三九万二一五〇円

(ホ)株式関係      一、六〇二万二〇二七円

(ヘ)政界関係      一、六六五万〇〇〇〇円

(ト)他会社関係       四一八万〇〇〇〇円

(チ)官界関係         四〇万〇〇〇〇円

(リ)不動産関係       七〇〇万〇〇〇〇円

(ヌ)新聞雑誌関係      二一〇万〇〇〇〇円

(ル)その他         五七一万六一〇〇円

(7)  次に役員機密費について考察する。

これに振向けられた金額は前期の如く、総額の三割三分六厘となつており、他の六割余は他の会社の為の支出となつている。問題は機密費の実体、その性格であるが、千代田口ノート、黒表紙日記帳や被告人両名の公判供述、和田信純以下の関係証人等の証言等を綜合してみると、前記の山下汽船の特殊事情、壊滅的な打撃を受けながら、必死に往年の山下汽船を再興し、海運界に雄飛せんとした熱望等にかんがみ、会社の為に使用しても、会社に請求できないような種類の用途、即ち機密費として使用すべきものとして支給されたものと認められるのである。

(8)  しかし被告人両名は一方において、六次船以降九次後期船につき総計五、五〇〇万円に及ぶ別途金を造船所側から受取つて、これを宍倉専務と三人で分配していることが証拠上明らかであるが、これは本件リベートとは全然区別して受入れられたもので、山下汽船の最高幹部に発注の謝礼として、造船所側から交付されたもので、リベートとは全く性質を異にするものであることが明かである。

(9)  なお起訴後のことではあるが、麹町税務署長の山下汽船宛法人税等の更正決定通知書等の証拠により明瞭となつたことであるが、本件リベート金は、その後税務署の問題となり、結局時効にかかつた分を除いた約八、五〇〇万円については会社の益金として計上され、全部結末がついたのである。また三菱銀行地下貸金庫についても、本件当時残金約三九〇万円が押収されたが、後山下汽船に仮還付され、正式に経理部長に引継がれたのである。

(10)  以上の諸事実を綜合してみると、本件リベート金は、裏勘定としてではあるが山下汽船の金として受領され、保管もされ、且つ又山下汽船のためになる用途に支出もされたものと認めるべきであり、結局山下汽船に損害を与えた事実はこれを認めることができない。そしてこのことが又逆に被告人両名の本件リベート金を約定受領するに至つた目的、動機が専ら山下汽船の利益を図るにあつたことを十分に推定させるものである。

(四)  その後山下汽船に与えた影響について

証人阿部津登務、富田政弘等の証言を綜合してみると被告人等が不景気の底ともいうべき時期に、無理をして建造しておいた前記七次から九次迄の五隻を主軸として、その前後に加わつた優秀な外航貨物船を有していたが為に、スエズ動乱を契機とする海運界好景気の波に乗り巨額の収益を収めることができ、昭和三一年九月期の決算において、繰越しの赤字を全部解消して配当をする迄に至つたことが認められる。従つて本件リベート金の問題にしても山下汽船に、損害を与えたという面のみから事案をみることはできないのである。

(五)  結論

以上の認定事実により明かな如く、本件においては、被告人等が一億円余のリベート金を計画造船に際し、造船所側から受取り、これを会社自体の用途に使い、その三分の一余を役員の機密費等に使つたことは事実であるが、これが為に、一億円余の何割かに相当する国家財政資金の融資を余分に受けたことは別問題とし、山下汽船に対する関係においては、これを私の用途に無駄使いしたと結論づけることは到底できない。

しかも本件においては、特別背任罪が成立する為に必要とされる要件の中、図利又は加害の目的も、任務に背く行為をしたことも、会社に財産上の損害を加えたことも又背任行為及び財産上の損害を加えることについての故意の存在したことも、すべてその証明がないことに帰するので、本件起訴事実については、被告人横田、吉田とも無罪の言渡をすることとした。

第七、(第七グループ)

被告人横田、吉田、菅の猪股功に対する融資を廻る商法特別背任の関係について

(一)  被告人吉田、菅に対し昭和二九年一月二七日附、被告人横田に対し昭和二九年二月二日附起訴にかかる商法違反の公訴事実の要旨は、被告人横田は山下汽船の社長として、被告人吉田は同常務として、被告人菅は同常任監査役として在職中、日本特殊産業(以下日特と略称する)社長猪股功から、融資の申込を受けた際、三名共謀の上、融資限度額、弁済等の融資条件に関し、何等の確約もせず、確実な担保もなく、僅かに銀行金利程度の利息を後払する条件で猪股の為に融資することとし、日特や極東企業の資産経営状況、猪股の手腕、経歴等に関する調査もせず、担保の確保、弁済方法等についても、極めて安易な条件で、将来右融資金の回収が不可能となり、山下汽船に対し財産上の損害を加えるに至るべきことを予見しながら、その任務に背き、昭和二七年一月一九日頃から同年四月一〇日頃迄の間に、二九回に亘り、現金、小切手及び約束手形等を以つて合計約一億三、五〇〇万円を猪股社長に貸付け、よつて山下汽船に対し、その頃同額の損害を加えたというのである。

(二)  争点について

本件においては、日特猪股社長に対し、当時起訴状記載の如き貸付が山下汽船側からなされたことについては争はないのであるが、これら貸付が検察官主張の如く図利加害の目的でなされたか或は、弁護人主張の如く、当時山下汽船の資金難打開の為、会社の維持発展を期してやむなくなされたものかが争点の中心である。よつて以下証拠に基いて検討してみる。

(三)  本件貸付につき、被告人等に猪股の利益を図る目的があつたと認められるか

証人今井田研二郎、猪股功、富田政弘等の証言、被告人等の公判供述、譲渡証書、請願書その他の関係証拠を綜合すると次のような事実を認めることができる。即ち

(1)  本件貸付前の昭和二六年一二月二〇日前後頃、嘗て国鉄旅客課長であり、当時経済安定本部交通局次長の地位にあつて、被告人等の尊敬していた今井田研二郎が猪股を同道して山下汽船を訪れ、猪股が山下汽船の為、国鉄共済組合の遊休資金二億円位を会社と取引のある信託銀行に導入し、それから会社が融資を受けられるように手配するから、山下汽船において融資を受けられた際は、その借入金の三分の一位を日特に貸付けられたいと依頼し、日特、極東企業の業態、猪股の人物等を紹介し、猪股からも同様の依頼があつたこと

(2)  当時山下汽船は翌昭和二七年三月末迄の資金需要見込額が約二億円もあり、その調達に苦心していた際でもあり、今井田の口添もあつたことであり、確実なものと信じ、常務重役会や重役会にはかり当座の資金難を打開する為右の申入れに応ずることとし、翌二七年一月早々猪股との間に、

(イ)  差当り、一億五千万乃至二億円を少くとも一年間導入しその預託期限は更新すること

(ロ)  日特に対する見返貸付は導入金額の三分の一程度とすること

(ハ)  日特の借受金返済期限は最低一年とし更新可能とするも、いずれにしても返済する迄は信託銀行から導入預金を引上げないこと

(ニ)  見返貸付の金利は山下汽船が銀行に支払う利息と同率とし、これを後払すること

(ホ)  謝礼は一切不要のこと

以上の外担保その他の条件を取決めたこと

(3)  その後約旨に従い、山下汽船は導入により銀行から融資を受けた二億二千万円の中五千万円を昭和二七年一月一九日頃より日特に貸付け(長期貸付分)たこと

(4)  その後同年二月中旬猪股から日特の設備拡張、原材料購入資金として融資を懇請されたが、その際猪股は、国鉄共済資金は五億円位迄導入できる見込であると聞かされた為、当時山下汽船は同年七月迄に約六億円の資金需要の見込で、その調達に腐心していた折でもあり、猪股の従来の実績を信頼していたので、前同様常務重役会や重役会の議を経て、現金小切手、手形等で合計四千万円を日特に貸付け、その後三月には同様の理由で二回に合計三、一五〇万円を貸付けたこと(短期貸付分)

(5)  その他にも同年二月二回に、長期貸付分の担保として取得していたユニツト、トラツクの特許権取得の所要資金にするからとの猪股の懇請を容れ、倉荷証券等を担保に合計一、三五〇万円を貸付けたこと

(6)  以上猪股に対する融資の担保としては、レクライニングシート特許実施権、極東企業の株式一万六千株、ユニツト、トラツク特許実施権登録関係書類一切、日特工場の土地建物に対する抵当権設定に必要な書類一切、日特の全株式、日特の清罐剤納入代金の代理受領に関する委任状、日特と猪股の共同振出にかかる融資額に相当する額面の約束手形を徴したこと

(7)  山下汽船としては、被告人菅が中心となり、猪股の資産、信用力を調査するは勿論、日特の工場につき業態の調査を行ない、更に会社関係資料、特許権、日特の清罐剤納入実績を調査する等事前に出来る限りの調査を行ない、担保も債権確保に十分と思料されるものは取得したこと等の事実を認めることができる。

以上の事実を中心とし更に山下汽船関係者の証言その他の証拠を合わせて考察すると、山下汽船としては、第六グループにおいて示したところの、終戦後の特殊な事情から、経済的に苦境に立ち、著しく同業他社に立遅れていたこともあつて、当時の一般的な金融引締めによる資金難の情勢下において、何とか資金の融通を得て、窮境を打開するため必死の努力を続けたものであり、被告人等の念頭には、会社の維持発展以外に何ものもなく、最善の努力を尽して本件貸付に当つた事情を看取することが出来るのであつて、その間本件貸付につき、猪股の利益を図る目的があつたとか更にまた検察官が最終の段階で主張するに至つた被告人等の自己の地位保持の目的があつたとかというが如き事実は到底これを認めることはできない。

(四)  被告人等は本件貸付に当り、猪股に対する貸付金が回収不能となり、山下汽船に損害を与えるに至るべきことを予見していたか

(1)  この点については、前項で示したところの外更に前記の諸証拠に徴し、(イ)被告人吉田の統括の下に、被告人菅が主として担当し、事務的な面は富田経理課長が当り、十分な調査を行なつたこと、(ロ)山下側に信用のある今井田研二郎の熱心な紹介、口利きがあつたこと、(ハ)日特及び極東企業の両者につき会社要領、貸借対照表、損益計算書等出来得る限りの資料を取寄せて検討し、工場の検分等もしたこと、(ニ)回収についても十分慎重を期し、関係資料により担保価値の検討をし、十分であると確認判断したこと等の事実を認定することができる。

(2)  なお本件貸付当時の猪股の資産信用力について、被告人等は如何にみていたかということは、重大な問題であるが、証人猪股功その他の国鉄関係者の証言等によると、本件貸付当時の昭和二六年には、日特清罐剤の国鉄発注高は一億三千万円の巨額に達し、翌二七年には更に飛躍的増大が期待される状況にあり、極東企業についても、レクライニングシートの使途は益々拡大される傾向にあり、ユニツトトラツクについても現に国鉄当局と折衝中で或程度補償金の支払を受け得る見込があつたこと等の事実を認めることができる。これらの事実からみて、本件貸付当時の昭和二六年暮から翌二七年にかけて、当時の猪股の資産信用力については、不安や危惧を抱かせるような事情は見られなかつたのである。ところが昭和二七年三月末清罐剤の国鉄納入を廻る涜職事件が起り、猪股が連坐し逮捕されてからは、同人の将来の経済活動に一抹の暗影を投じたことは争えないことではあるが、本件貸付最終日の昭和二七年四月一〇日頃迄の状況下では、未だ猪股の返済能力に障害を来すものと判断されるような影響は現われていない。

(3)  以上の点を綜合してみると、結局本件貸付当時被告人等が猪股の返済に危惧の念を抱き、貸付金が回収不能となり、山下汽船に損害を与えるに至るべきことを予見していたものと認めることはできないし、猪股の資産力についての当時の状況もかかる事情のないことを客観的に裏付けているのである。

(五)  山下汽船は本件貸付に伴い何等かの利益を得たか

検察官は、本件貸付当時の山下汽船の資金難は、被告人等の放漫経営に端を発したものであり、自から招いたものである。当時山下汽船は、金融機関からの正常な金融の途を絶たれ、変則的な金融によらなければ、資金難を打開できない羽目に追い込まれていたので、被告人等は自己の地位保持の目的もあつて、回収に危惧しつつも、本件貸付に踏切つたものと非難するのであるが、既に第六グループで示した、山下汽船特有の背景的事情や前記認定の諸事実に徴し、検察官の主張の当らないことは明白といわねばならない。

しかしそれはそれとして、証人富田政弘の証言、被告人等の公判供述、運転資金借入金明細書等によると、本件貸付により山下汽船としては、

(1)  長期に亘る安定した資金が獲得できたこと

(2)  昭和二七年当初の運転資金難を乗り切ることができたこと

(3)  三和銀行が山下汽船の主力銀行となる契機となり、その他の取引銀行からの融資を受けられる枠が増大したこと

(4)  新規に朝日信託銀行と当座取引を開始することができたこと

等、利益を得た面もあるのであつて、このことは、ひいて本件貸付が、猪股の利益を図る目的でなく、むしろ山下汽船の維持発展のためにやむなくなされたと認めるのが相当であるとする結論の裏付ともなるのである。

(六)  結論

以上証拠によつて認定した客観的事実等からみて本件公訴事実は、その証明がないことに帰着するので、被告人横田、吉田、菅は、無罪たるべきものである。

第八、(第八グループ)

被告人塩次の猪股功に対する不正貸付による商法特別背任及び同今井田の教唆関係について

(一)  公訴事実の要旨

被告人塩次に対する商法違反(昭和二九年一月二七日附及び二月一五日附起訴状記載を合せたもの)及び被告人今井田に対する商法違反教唆(昭和二九年二月一五日付起訴状記載のもの)の各公訴事実の要旨は

(1)  被告人塩次は海運業及びその附帯事業を目的とした日本海運株式会社取締役社長在任中の昭和二七年七月五日頃から八月一五日頃迄の間一一回に亘り、約束手形合計一一通金額合計二、八三三万五、〇〇〇円のものを猪股功を取締役社長とする日本特殊産業株式会社(以下日特と略称する)に貸付け、相当部分が回収不能になるという結果をみたが、この貸付は元来が被告人今井田の懇請説得を受けた結果として回収不能となることを予見し乍ら、猪股の利益を図ることを目的として、回収のために確実な手段を講じないで、会社の目的外の貸付をしたもので、手形貸付をした時に会社に対し額面合計二、八三三万五、〇〇〇円の損害を与えたことになり、商法四八六条所定の特別背任罪を構成する。

(2)  被告人今井田は終戦後国有鉄道旅客課長、北海海運局長、安本建設交通局次長を経て、昭和二七年八月二七日以降経審審議官の地位にあつた国家公務員であるが、被告人塩次が日本海運の手形を猪股に貸与すれば回収不能になることが判つてい乍ら、昭和二七年六月下旬から七月上旬にかけて三回に亘り、被告人塩次に対し懇請説得をして前記手形を貸与する決意と実行とをさせて、日本海運に財産上の損害を与えさせたもので、塩次の特別背任罪の教唆犯に該当する。

というのであるが

(二)  被告人塩次についての当裁判所の判断

当裁判所は審理の結果被告人塩次については

(イ)  被告人今井田の紹介と依頼が契機となつて起訴状記載のとおり約束手形一一通合計二、八三三万五、〇〇〇円を猪股を社長とする日特に貸与し、決済資金の支出等により、昭和二七年末現在において約一、二七三万五、〇〇〇円の日本海運の実損となつたこと

(ロ)  右貸与の際に同額のいわゆる見返り手形をとつただけで猪股並びに猪股の関係会社の実体につき十分な調査をせず、確実十分なる担保をとる等返済確保の手段を講じなかつたのは、代表取締役社長の任務に違背する行為であること

は認めることができる。しかし一方において、

(1)  右の行為に出た動機・目的としては、被告人塩次は昭和二六年一一月銀行方面その他の懇請を受けて終戦前は有力なタンカー会社だつたが、当時はあらゆる面で行き詰り動きがつかなくなつていた日本海運の相談役に、ついで昭和二七年二月代表取締役社長に就任したもので、相談役に就任後は個人の信用で荘内銀行から六、〇〇〇万円の資金を導入して債務の返済、入渠したまま立往生中のあやぎく丸の工事代、曳船料等に充てた外これを資金として人員整理も断行し、あやぎく丸は塩次個人の信用で三井船舶の協力を得て勧銀から借り出した一億二、〇〇〇万円を以て改装して三井船舶の傭船に出し、毎月七、八百万円の収入を挙げる迄にする等努力をした結果本件の問題の起つた昭和二七年六月末頃としてはまだ当分赤字経営は続けなければならないが経営の見透しもついて、今一隻の所有船で二TMとよばれる戦標船タンカーわかくさ丸について、改装資金を財政資金から出して貰つて改装就航させる計画構想を持つており、官界における伝手としては海運関係の経歴があつて経済安定本部に在職する今井田に期待を寄せていたことでもあつたので、この際今井田の依頼を容れておけば二TMの改造資金問題、更に将来には計画造船による新造船の獲得につき有利であるという認識を持つていたこと。

(2)  猪股関係では猪股が国鉄首脳部と連絡があつて、国鉄共済組合資金を導入するルートを持つていることや旧三井財閥の人とも連絡があつて、この際猪股を助けておけば次には日本海運の方で資金を入手する足場になるとの認識を持つていたこと。

(3)  かかる認識の下に、これによつて日本海運発展の転機を掴む目的から猪股に対する本件貸付に踏み切つたもので、反射的には勿論猪股を利する結果にはなるが、経済人の行動として猪股の利益のためにこのことを行つたものとは認められないこと。

(4)  又猪股の方で決済ができず、日本海運に損害を与えることを予見したか否かについても、金額が金額故一応懸念したことは事実であるが、今井田は終戦前からも面識があり、非常に好意を寄せ信用していたので、一つには俗に太つ腹といわれる塩次の性格と、三井船舶の役員等から耳にしていた猪股の経済人としての実力に関する知識等も作用していると思われるが、今井田の紹介する人物故迷惑をかける筈なく万事が旨く行くものと信じていたものであること。等の事実を認定することができるのである。

(5)  従つて本件貸付は専ら日本海運の発展に資する日的に出たもので、猪股の利益を図つてしたものとは認められず、日本海運に損害を与えることについての認識がなかつたものというべきであるから、結局において、構成要件の証明がないことになるので、被告人塩次は無罪たるべきものである。

(三)  被告人今井田についての当裁判所の判断

被告人今井田については本犯である塩次の特別背任罪が成立しない以上は今井田の教唆犯が成立しないことは当然であるからその点はいう迄もないとして、右に加えて、

(1)  被告人今井田としては、元々、昭和二三、四年頃国鉄旅客課長時代に、猪股がC、T、S工作に示した手腕並びにその後も国鉄首脳部と相当交際があつて、経済人としては相当の実力者であると信じていたこと、

(2)  猪股及び同人の主宰する日特の経済力の全容(例えば日本通運との関係や車輪工株操作のことなど)を知らされていた訳でもなく、昭和二六年一二月猪股を山下汽船に紹介して山下汽船が信託銀行を通じて国鉄共済組合資金を導入した後その三分の一程度を猪股が山下汽船から転借することになつた件についても(この点については第七グループにおいて或る程度触れたが)五、〇〇〇万円程度転借していることを知つていただけで、その後の六、〇〇〇万円にも及ぶ手形による短期融資については知らされておらず、期日に代理決済して実損を蒙つた後においても、山下としても共済資金の導入によつて利益を受けている上に、その増額を期待する考えもあり、被告人今井田が公務員である関係もあつてか、偶々被告人今井田に電話をしても、猪股の所在を尋ねるとか山下汽船に寄越してくれとかいう程度で、遠慮勝ちであつたこと。

(3)  猪股としても昭和二七年六月末においては同人の連坐した国鉄に対する清罐剤の納入を廻る涜職事件の影響を左程重視せず、五月、六月、七月となお盛に清罐剤の生産を継続していた事実でも判るように、未だ行われない入札による納入に大きな期待を寄せていて、被告人今井田に対しても、次に国鉄の発注がある迄のつなぎ資金として二、〇〇〇万円程度必要だから、日本海運に紹介してくれと頼んだ程度であつたこと、

(4)  これが為被告人今井田としては、猪股及びその関係会社の経済を重大な危機に瀕しているものとは思つていなかつたことと、一公務員である自分の紹介依頼によつて二、〇〇〇万円もの金が直ちに動くとは考えず、被告人塩次及び猪股は共に経済人として相手方を判断し、経済ベースにのつた貸付条件を定めて実行するものと考えていたこと、

等の事実を関係証拠により認定することができる。

(5)  以上の諸事実を中心として考察すると、日本海運が日特に手形を貸与した場合、日特が期日に決済ができなくて、日本海運に損害を与えるとは、被告人今井田として全く予想もしなかつたこと、換言すれば左様な結果に終ることを予想し乍ら敢て被告人塩次にその実行をすすめたものとは到底認められないから、犯意を欠くものとして教唆犯は成立せず、この点からも、被告人今井田は無罪である

というべきである。

第九、法令の適用と情状について

以上有罪及び無罪の各理由の要旨を告げたのであるが、有罪部分中、贈賄については、刑法一九八条(改正前)、収賄については同法一九七条一項、同幇助につき六五条を適用し、併合罪の関係については、同法四七条所定の加重をなし、所定刑期の範囲内において量刑処断することとなるのであるが、当裁判所は、各被告人に対する情状を慎重に考慮して(各被告人につき口頭で各別に説明したが、ここでは省略する)、それぞれ刑を定め、同法二五条により、全員に執行猶予を附することとした。なお没収、追徴につき刑法一九七条の四(改正前)、訴訟費用の負担につき刑訴一八一条、一八二条を適用して主文のとおり言渡する次第である。 以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例